HOTROAD通信

ミラクルシティコザ

マネージャー本間

桐谷健太の情報解禁です!!

3月後半から主演映画の撮影に入っておりました。
作品は第三回未完成映画予告編大賞グランプリならびに堤幸彦賞受賞作品『ミラクルシティコザ』(平一紘監督)
全 編沖縄ロケでの待望の映画化となりました。監督のみならず製作陣、出演者、音楽担当まで沖縄にゆかりがあるスタッフの皆さんが 90%以上で現地で撮影ができ、 沖縄の日本復帰 50 周年という節目にこの映画を皆様にお届けできること嬉しく思います。

[ あらすじ ]

ロックスターだったジイちゃんが、孫に託した、最後の夢。 沖縄市コザ、かつては隆盛を極めた街だが、現在はジジイ達が朝から呑んだくれ、ゴーストタウンの一歩手前。そこ で暮らす若者・翔太は、特にやりたいこともなく、惰性で日々を過ごしていた。翔太にはちょっと変わった祖父(ハル) がいた。ハルは、かつてはベトナム戦争に向かう米兵たちを熱狂させた伝説のロックンローラーだったが、今は近所や息子から疎まれるただの変なジジイ。ある日、ハルは交通事故で亡くなってしまう。失意の翔太の前に現れたのは、 なんと死んだはずのハル。「やり残したことがある」とハルは翔太の体をのっとり、翔太の魂は、1970 年代へとタイムス リップ! 翔太はそこで驚きの真実を知り、あるサプライズを思いつく。
翔太が仕掛けた、未来へのサプライズとは。そして、ロックンロールジジイが孫に託した、最後の夢とは・・・・・・?

2021041601

[ 伝説のバンド “紫” ]

天才キーボーディスト・ジョージ紫をリーダーとする伝説的ロックバンド。 「ミラクルシティコザ」過去編の舞台と同じ 1970 年に日本復帰前の沖縄で結成。同年 8 月には大阪の野外ライブで 圧倒的なライブ・パフォーマンスを見せつけ、6000 人の観客を総立ちにさせる。「紫」の名前は一気に全国へと広が り、1976 年には 1st アルバム「MURASAKI」で日本のロック史に風穴を開ける。当時の人気・注目度は凄まじく、1977 年の音楽誌「ミュージックライフ」では、国内グルーブ部門で 1 位を獲得。各メンバーも人気投票で軒並み上位にラン クイン。しかし、人気絶頂の中、1978 年にバンドは空中分解してしまう。その後は、個々の活動が続いたが、2007 年 に再結成し、今は「紫」第二幕のまっただ中である。「ミラクルシティコザ」では、ジョージ紫を筆頭とするメンバーが、 映画のストーリーに共感し、バンドの代表曲を提供するのみならず、劇中で登場するバンドのライブ音源を新たにレ コーディング。劇伴音楽を担当するのは、ベーシストの Chris。ボーカリストの JJ は、印象的な役どころで出演も果た している。また、平監督は脚本執筆あたり、メンバーを何度も取材。1970 年当時の「紫」が体験した破天荒なエピソー ドをシナリオに盛り込んでいる。
1872 年 1945 年 1946 年
沖縄 日本復帰への道と 2022 年
2022 年からちょうど 150 年前 明治政府が独立国家であった琉球国を解体し琉球藩(後の沖縄県)を設置。 第二次世界大戦末期 米軍が沖縄上陸 3 ヶ月にわたる戦闘により日米双方で20万人、県民の4人に1人が犠牲に。 米軍部は太平洋地域の安全保障のため沖縄を信託統治下にと主張。日本の新憲法も沖縄には適用されず。
<冷戦の激化に伴い米国は日本非武装化から軍事同盟国の育成へと方針を転換、沖縄の基地建設が本格化> 2022 年から 70 年前 日本が独立国として国際社会復帰する一方、沖縄は正式に日本から分離、米国の施政権下に。 軍事優先政策と日米どちらにも属さないあいまいな立場は、住民を復帰へと駆り立てたが、米軍による弾圧を受ける。
1952 年
1960 年代 戦後沖縄問題を避け続けていた日本政府だったが、復帰運動の高まりを受け日米両政府による返還交渉がスタート。
1969 年 1972 年
沖縄の日本復帰が正式に決定。
2022 年から 50 年前 沖縄が正式に日本に復帰 しかし日米交渉の結果は多くの住民が求めていた“基地の無
い平和な沖縄”とは程遠く、複雑な思いを抱えた状態での日本復帰となった。基地問題は今日まで続く。 沖縄日本復帰 50 周年2022 年

公開は2022年です!!
渡辺光も出演しております。
これから公開までミラクルシティコザの詳細を随時お届けしてゆきます。

2021041602